”LIVING DIGITAL 2040 Future of Work, Education, and Healthcare” World Scientific Publishing Co. Pte
著者のPoon King Wang 他5名は、シンガポール工科デザイン大学(SUTD)で主にLee Kuan Yew Center for Innovative Citiesに所属している。彼らは、技術の発展によりある程度dystopian digital futureは避けられないにしても、コミュニティ、会社、都市、国家の将来をより良くするため、buzzwords以上のものを研究し未来に備えるべきとした。
具体的には幅広い専門分野(デザイン、社会学、人間/コンピュータ相互作用、人間/ロボット相互作用、分析学、情報通信、ファッション、工業デザイン、金融、消費財、公共政策など)の専門家の参画を求め、多面的アプローチ即ちインタビュー、グループデスカッション、ワークショップ、文献調査などを行った。
1980年にMITメディアラボ創設者のメグロポンテが指摘したようにコンピュータは生活そのものである。シンガポールのような都市国家ではテクノロジーによって、スマートシティ、スマート国家であることにより人々がよりよい生活、他者とのつながりを可能とする。人的な資源は極めて大切だが、他方でデジタルテクノロジーは、Work、 Education、Healthcare(これらは我々が何者であり何をなすのかを形作るのであるが)の面で課題を突き付けている。仕事が破壊される?格差が拡大する?
Future of Work
長年、Workの分析単位はjobであった。しかしこの数十年の間にdigitizationとglobalizationによって、work processesとprojectはtaskに分解されていった。taskは、テクノロジーに置き換わる。job中の多くのtaskが置き換わるとその労働者も置き換えられる。もちろん技術により生まれる新たな労働もある。
taskに分解されることにより専門性も細分化し、技術の柔軟な結びつきも可能となる。他方結びつきにより問題解決することにより専門性が高まる。このように結びつきが高まることにより雇用の成長率も高まる。企業は、世界中の様々なルートから専門性を調達することにより労働を再組織化する。そして競争優位に立つために国内外の様々なネットワークを利用する。
雇用者側もtask単位で労働を提供する。どのtaskが新たな機会を得られるかによって、労働の将来が再構成される。後述するように、労働の訓練と教育の境界はあいまいになる。
Future of Education
技術のもたらす可能性について考えるとき、教育の目的について、個人の可能性や夢が与えるものと、公的目標を達成することの間に永遠の議論がある。いずれにせよ過去できなかったことが技術によって可能となり、楽しみながら、ほとんど何についてもいつでも世界の誰からでも学ぶことができる。オンラインコース等によって再教育を受けた両親も大きな学習共同体の一員、イコールパートナーとなり、教師、両親、学生が境界なく活動する。個性がより重視され、それぞれの潜在能力が最大限伸ばされる。Workとの関連では、特定の、あるいは多様なtaskに秀でているかというように、学生の評価(grade)も再定義され産業界での観点が反映されることにより、WorkとEducationの境界はなくなる。
Future of Healthcare
プライバシー保護の下で、個人の健康情報が公的に共有され、個々人はそれぞれ自己の健康管理に動機付けられる。それを自治体はnagを使って促進する。市民がそれぞれcaregiving skillを持てるようになると、共同体ベースの健康管理のエコシステムができる。医師と患者は、今までの親と反抗的な子供という関係から、大人同士の関係に変わる。
なお、中華系らしい遊び心だろうが、病院が患者のニーズに応じた成分の健康食品を工夫創出しても、the citizen’s passion for their food was insatiableとある。
シンガポールはICT環境が最先端にあり、都市国家という利点もあるにしても、さらに様々な取り組みを試行錯誤しつつ実践していることが分かり、彼我の差を痛感する。例えば、我が国では働き方改革の関連法案が国会で議論されているが、幕藩体制を引きずった御家意識による経営と、全人格的結合を前提とする雇用契約といった枠内での検討に見える。Workで述べられているように、AI等に置き換わったtaskはもはや人間のものではなく、そのほかのtask単位での雇用契約を念頭に置いた企業組織、そして教育の再構成を進めなければ国際的な競争に勝ち目はないという事だろう。
我が国においても、その文化や伝統を前提として、ICTがどのように社会を作り変えているのか、またどうあるべきなのか、客観的、学際的かつ本格的な研究が待たれるところである。
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