「ソーシャルメディアと公共性」 遠藤薫 編著 東京大学出版会 2018.1.25

近時ツイッターとフェイスブックのSNS2社が1月以降計7億件の偽アカウントを削除したことが報道されており、一時は既存メディアをしのぐ存在になるとも期待されたソーシャルメディアの汚染が改めて認識されたところである。 本書は遠藤他6人の著者が、ソーシャルメディアと公共性について考察したものだが、基本的なとらえ方は、ソーシャルメディアという新たなメディアの出現によって、既存のメディアは単に残存しているというだけでなく相互作用し、それぞれより複雑な情報環境のアクターとなるという点である。そうして初めてSNSとアラブの春やトランプ現象を理解できるという。我々が世界を認識し、それを他者と共有するこの情報環境がサイバースペースをもサブ領域としつつ変化していることを理解しなければならないという。  以下、いくつかのテーマ(章)を紹介する。 


 第1章 間メディア社会におけるポスト・トゥルース政治と社会関係資本(遠藤)  

客観的事実より情動的信念によって動かされる政治の時代だが、その背景には間メディア的コミュニケーション環境があるとする。インターネット発展当初は「新たな公共圏」の期待があったが、現実には様々な問題がある。トッド・ギトリン、遠藤は、小公共圏が相互に対抗しあう場ととらえ、また、キャス・サンスティーン、イーライ・パリサーは選択的情報接触、サイバーカスケードによる社会的分断が生じ、ポスト・トゥルース(脱真実)政治の時代につながったと悲観的にとらえている。  メディア進化よって人々の公共性が衰退したのではなく、これまで以上に公共性に対する意識や社会的繫がりを活用する能力の高さが必要とされるが、人々がそれを十分に認識していないのが問題というワイン・ベーカーの指摘を引き、また、「世論」を静態的な規範概念あるいは記述概念としてとらえるのでなく、社会構成員の多様な意識(情動)あるいはそれを表現する言説間の連鎖と構想のダイナミズムとしての〈世論〉を分析することを提案している。 

 

第2章 間メディア環境における公共性  ―ネット住民は公共性の夢を見るか?(佐藤嘉倫)  

小公共圏が連結すれば新たな公共圏が可能になるとして、どのように連結するか?社会関係資本には結束型(親族、友人といった同質な人の閉鎖的社会ネットワークを基盤)と、橋渡し型(災害時のボランティアと被災者のような、複数の閉鎖的社会ネットワークをつなぐ異質な人々の開放的なもの)がある。ソーシャルメディアは前者の既存社会関係資本を強化すると考えられる。  アンケートによる「メディア社会における会関係資本に関する調査」の中で公共性に関する項目を検討している。フェイスブック、ツイッター、LINEを対象とした粗いものだが、ソーシャルメディアを使いすぎると公的関心が低下する傾向がある。  ここで、「幕の内弁当」としてのマスメディアを提唱する。様々なおかずを、普段口にしないものでも、せっかく買ったのだからと口にするように、種々の情報に接触することになる。ソーシャルメディアとマスメディアが共存する間メディア環境で、往還過程が進めば、社会を覆う公共性が構築される。 

 

第3章ソーシャルメディアにおける公共圏の成立可能性 -公共圏の関係論的定式化の提唱とTwitterの経験的分析(瀧川裕貴)  

理論的源泉はジンメルに負い、人々が家族等の一時的集団を脱し、様々な社会的領域、社会圏が交錯することで、近代個人首位の特徴としての個性が発展してきたという。  公共圏を質的に異なる関係構造が交差し連結した複雑な構造と定義し、そこでの規範的意味付けを、公開性、変化可能性、共通の関心の3点にまとめられる。  一般的には社会の全体構造を直接経験的、実証的に把握することは難しい。しかし、ソーシャルメディアのフットプリントを使って、計算社会学により経験的に把握できる。 Twitterを使うのは、他より公開性が高く、データの入手がし易いため。  テーマはホモフィリー(同類選好)。ベースライン・ホモフィリーとは、ある社会空間に住む人がランダムに紐帯を形成したら出現するはずの内集団紐帯化比率。インブリーディング・ホモフィリーは、現実の紐帯がベースライン・ホモフィリーから有意に離れているかで定義。  結果、日本の政治的指向として、類似の志向に基づく関係形成、類似の人々の間で関係が閉じる傾向という明らかなインブリーディング・ホモフィリーが存在する。イデオロギー的に極端な立場の方がその傾向が強く、あるイデオロギー的ラインに沿った分断線が存在する。 


 第4章 信頼の革新、間メディア・クラック、およびリアルな共同の萌芽(与謝野有紀)  

ソーシャルメディアにおいては、客観的真実性、社会的正当性、主観的誠実性は匿名性の下で実現できず、期待とは逆に公共圏の分断、価値観の分裂を招いている。  他方で、ネット上での市場拡大、シェアリング・エコノミーの隆盛にあるように、信頼の革新が見られる。この信頼の革新は、一般的信頼の拡大ではなく個別的信頼の爆発的拡大である。そこでは、個として識別された人について信頼性の推定にかかわる情報をどれだけ有しているかが重要で、ICTを通じてレヴュー、レイティングという仕組みを通じて実現された。スパイト(いやがらせ)行動を排除のため、評価者も評価する相互の個別的信頼性情報の蓄積がされている。このシステムの必要条件としては、①同一の課題を解く、②不誠実な人を排除、③価値を一元化、④情報の縮約であるが、これらは公共的空間の、本来価値の多様性を認めるものとは対極にあり、ソーシャルメディアの公共性についての否定的見解を逆照射する形になっている。  間メディア・クラックについては、ソーシャルメディア利用者とマスメディア利用者の間の意識、態度、社会イメージの裂け目をデータから検証した。制度への信頼感をソーシャルメディアが侵食し、その負のスパイラルが存在しうることが懸念される。  ソーシャルメディアが生む親密圏の萌芽については、一団地の調査から、SNSの利用者がネット上の公共圏の住民としてのみの存在ではなく、地域の中での親密な関係の可能性を示しているものの、全国への外挿にはいまだ無理があるとしている。  以上のほか、第6章「三つ巴の『正義』―トランプ現象に見る反―新自由主義の行方」では、現代世界の「分断」の背景にある正義の対立は、保守/リベラルの二項ではなく、新自由主義、多様性包摂主義、復古強権主義の三者の相互対抗関係にあり、トランプは最後の中の、いわば反・反既成政治を表象しているという指摘、また、第7章「『ポリティカル・ヒーロー』を演じるトランプのプロレス的〈公正〉」では、プロレスやリアリティショウ(アプレンティス)でのパフォーマンスに見られるように、真実は常に儀礼化され、トランプ支持者はその極端、誇大な言動を鵜呑みにする人々ではなく、むしろその儀礼的な意味を理解する階層である可能性との指摘など、興味深い内容となっている。  なお、これらの章では間メディア社会、公共圏との関連の整理が、たとえば計算社会学により経験的に検証されているわけではないなど、必ずしも十分行われているのではなく、巻末に編著者が著しているように、「われわれの探求はまだ始まったばかり」といえる。                                (見城 中)   

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