『脳はなぜ都合よく記憶するのか』 ジュリア・ショウ著 服部由美訳 講談社 2016年12月13日

ひところ話題になったシンギュラリティが起きるかもしれないという予測を生んだAIの驚異的な発展の要因の一つに、人間の脳の活動を分析し、深層学習としてAIに活用したことで、飛躍的に判別レベルが深まったことがあげられよう。シンギュラリティが起きないにせよ、今後我々はAIとどう向き合っていくのか、その前にそもそも、ヒトの脳の活動はどこまで理解できているのだろうか。

本書の著者は、ロンドンサウスバンク大学法社会学部上級講師で、世界でも数少ない過誤記憶の研究者である。我々の記憶が実はどれほど不正確なものか、数多くの実証実験を引いて説明され、多少居心地の悪い不安感を覚えずにはいられないのは、記憶というものが我々のアイデンティティーそのものだからであろう。決して記憶に関す

る脳生理学といった難解な記述はなく、我々の日常の活動から入る平易な説明で分かりやすい。

「私は記憶ハッカー。私は起こっていないことを起こったと人に信じ込ませる。」という刺激的なフレーズで始まる第7章「植えつけられる偽の記憶」の実験の描写。筆者は誘導尋問にならない慎重な質問の仕方を警官に教えているが、ここでは基本的にその逆、すなわち誘導尋問にどれだけ被験者が応じてしまうかが観察される。被験者の70%以上が、犯罪とそこでの感情的な出来事の両方で、完全な過誤記憶を作り上げることが分かったという(完全な過誤記憶とは、出来事の細部を最低10個伝えること、面談でそれが事実の出来事だと信じているという事などと定義する)。これから推測されることは、目撃者の過誤記憶が不当な有罪判決の主な要因となっているということであり、2015年の統計では、現代のDNA検査により合理的な疑いの余地なく無罪と立証された325件の事件のうち235件が目撃者の誤認がかかわっていたという。筆者は冤罪事件の救済活動にもかかわっている。

過誤認識が生まれる過程を説明する第3章の「脳の創造メカニズムと過誤認識」では、ファジー痕跡理論を取り上げ、記憶には時系列的な流れの記憶である逐語痕跡と、経験の意味を記憶する要旨痕跡があり、それぞれが別々に並列処理・貯蔵され、また別々に想起される。このことにより潜在的に結び付け方にエラーが生じる可能性があるという。すなわち経験が断片化し、断片は再結合される。ではなぜ、ヒトの進化の過程で、このようなできの悪い不正確な記憶の仕組みが採用されてきたのだろうか。筆者は「生物学的、科学的な観点からみれば、人の脳が驚異であるのは間違いない。けれども、その脳に組み込まれたメカニズムが、ある生理学的な段階で生理学に基づいた複雑な記憶の幻想を生じさせる。エラーも起こす、こういったルートの大部分は連想記憶システムのプラス面から起こる副次的なものであり、そういった結びつきがなければ、人が大切にする創造的で適応力のある心を持つことはできないだろう。」と指摘する。

ここから冒頭のAIとの付き合い方に戻るとすれば、ヒトとAIとの役割分担であろう。ファジーで創造性はあるが、記憶システムとしては欠陥のあるヒトと、大量高速、正確無比、不眠不休のAIがお互いの長所を組み合わせ、欠陥を補完するものである。・・それともさらにヒトの脳の仕組みを解析し、創造性までもAIに委ねることに

なるのだろうか。未来を考えさせられる書である。

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