「インスタグラムと現代視覚文化 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって」 共訳・編著 久保田晃弘、きりとりめでる  ビー・エヌ・エヌ新社 2018.6.22

本書は、レフ・マノヴィッチのオンラインブック「Instagram and Contemporary Image」の全訳と、それをめぐる9編の論文からなっている。我が国でも昨年の流行語大賞である「インスタ映え」が一種の行動規範になっているとの言説にみられるように、インスタグラムの普及が視覚文化に大きな影響を与えつつある。マノヴィッチの論文は、カルチュラル・アナリティクスの手法によって、その動向の一面を切り出したものだが、本書に共に掲載されている論文と併せて、現在の写真文化を立体的、複眼的に理解することができる。

 ここでは、マノヴィッチの「Instagram and Contemporary Image」の概要と、特に関連して参考になるいくつかの論文を紹介する。

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インスタグラムのイメージ文化は、写真、映画、グラフィックデザインの歴史、現代のソーシャルメディア、デザイントレンド、ミュージックビデオ、KPoPといった豊かな歴史的、文化的文脈の中に位置づけられる。19世紀~20世紀のさまざまな写真文化の要素の間には隔たりがあった。今では単一のプラットフォームに結合された。カメラ、写真用紙、暗室、ギャラリーのような展覧会会場、雑誌のような出版の場が、片手で持てるデバイスの中で共存している。インスタグラムアプリを使えば、写真をフェイスブック、Twitter、Tumbler、mixi、Webro、VKといったプラットフォームで共有できる。この共有という特性はメディア史上他に同等のものはない。 

本論考は、インスタグラム写真というメディウムのいくつかの要素をアフォーダン スの種類や写真、視覚芸術、映画、デザインの歴史との関係を通じて考察したもので、インスタグラムの社会的、心理的、政治的な影響や利用法については普遍性がなく議論しない。

(カジュアル写真)

 2012年~15年の間インスタグラムは、ニューヨーク、ロンドン、モスクワのような国際的巨大都市で極めて広く使用され、その他の地域では英語を話す若いエリート、文化産業に携わる小規模のグループでしか使われていない。地理的違いを考慮し、特定の地域(16の世界都市)の全ユーザが共有しているすべてのインスタグラム画像(1500万枚以上)をダウンロードして分析した。視点としては視覚的美学(visual aesthetics)を出発点とするが、インスタグラムアプリの手軽に面白く魅力的に見せる仕組みとしてのフィルタが、インスタグラムがモバイルフォトグラフィーを支配してきた主な理由と考える。

カジュアル、プロフェッショナル、デザインの3種類に手作業でタグ付けして分類する。カジュアル写真は80%、プロフェッショナル写真11%、デザイン写真9%であった。カジュアル写真の主題は過去数十年のホームモードの写真と連続したものであることを示唆するが、都市間の違いがかなり大きい。東京では43.6%が食べ物・飲み物だがモスクワでは8.3%。洋服・装飾具はバンコクでは40.4%だがベルリンでは9.9%。建物はベルリンでは39.7%だがバンコクでは10.8%。

(プロフェッショナル写真とデザイン写真)

 いずれも「いいね」フォロワー数を競う競争的写真。プロフェッショナル写真は、20世紀後半に確立された「良い写真」の美学を目指し、古典的美学の作家、愛好家と競合。デザイン写真は、より「現代的」、「ヒップ」、「クール」で「都会的」なライフスタイルの選択とそれに応じた美学を結びつけている。現代のカメラ記録情報は過剰になっているが、両者ともに視覚情報を減らす作用をしている。プロフェッショナル写真は背景をボケさせ前景に集中させる。デザイン写真はコントラストを強く明度を増し背景を簡素にする。

(インスタグラミズム)

 レンズがとらえた画像とデザイン技術が組み合わされたメディア形式は、ある特定のコンテンツと結合する。同時にこれらの要素はある特定の「感覚」、「姿勢」、「調子」を生み出している。これを「インスタグラミズム」という言葉で言及していきたい。インスタグラミズムは「物語る」ことに関心はなく、特有の主題を取り上げてもいない。具体的な物事を映しているが、同時にとても曖昧で、さらに感情を伝えるものでもない。今日のカルチュラル・アイデンティティは、小さな変化と微細な差異によって生まれ、またすでに確立されている立場とのハイブリットでもある。

近代美術作品は、ギャラリーや印刷物、雑誌や大型ポスターに掲載される写真での鑑賞に適するようにデザインされている。インスタグラムはスマホの4.5~6インチの画面サイズで、短い閲覧時間、ユーザのフィード内における他の写真との競合など様々な条件に合わせて画像をデザインし、20世紀の具象美術や写真のモダニズムを単に反復しているとは言えない独自の美学を導いている。

(テーマ・フィードシーケンス・ブランディング・フェイス・ボディ)

 シーケンスとは、インスタグラムのユーザインターフェイスがフェイスブック、Twitter、他の20世紀の共通プラットフォームとも違って、3列でできた写真のグリッドという独自の方法や、イメージの組織化がされていること。シーケンスにふさわしくない事物を投稿したいという衝動を抑え、そういう写真はTwitterに直行させるべきである。

 インスタグラムの著名な作家は、ほとんど美術、写真、デザインの学校教育を受けていない、多くは中高生で、多くのウエッブサイト、ブログ、アプリから学んでいる。

 デザイン写真やインスタグラミズムの美学は、グローバルな中産階級のリアリティに批判的な、リベラルな意識の表現と見なされる。

(アプロプリエーション、サブカルチャー、集団、主流?) 

この分析によって、インスタグラムが今日のグローバルな文化的進歩と普遍的なダイナミクスを研究するための素晴らしいプラットフォームであることが実証されたことを願っている。インスタグラムは今日何十もの国々の「モバイル」クラスの若者の選択のためのメディウムとして、彼らのライフスタイルや想像力、さらには現在意味の創造、そして社会のメカニズムに対する洞察を与えてくれる。

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甲斐義明は「レフ・マノヴィッチとインスタグラム美学」で、マノヴィッチの三分法がカテゴリーの不完全さにもかかわらず注目に値するのは、プロフェッショナル・フォトとデザイン・フォトをカジュアル・フォトから区別し、美的な創作行為としてのインスタグラムの利用を強調した点という。特にデザイン・フォトを、モダン・フォトグラフィーと現在のグラフィック・デザインの要素を融合したものと評価し、単なる流行の一形式ではなくデジタル技術に親しんだグローバルな若者世代による価値観の表明として「インスタグラミズム」を提示し、芸術写真とアマチュア写真の二分法に修正を迫った点で有意義であるとする。

 ばるぼらは「日本のインスタグラム観測記録2010-2018」で、その起動の動機として、承認欲求、自己満足、虚栄心だけでなく、インスタグラムが「リアル」の入手手段になっているという。スタジオでのモデルの撮影はファンタジーで、GoogleもSEO対策されておりリアルではない。また、他のメデゥムに比べインスタグラムは疲れにくいという。SNS疲れといわれるようにフェイスブックやLINEは友人関係が中心で即レスポンス等の対応が求められる。ブログやTwitterは文章中心で時間がかかり、また炎上の危険性もある。さらにインスタグラムには24時間で投稿が消えるストーリー機能もある。

 永田康裕は「Photoshop以降の写真作品―『写真装置』のソフトウエアについて」で、シャルロット・コットンを引いて、現代のメディア環境は歴史上初めて観客自身もアーティストと同じように写真ツールを活用しながらヴィジュアル・アイデアを撮影し、レタリングし、発信し、同時に理解しアクセスする能力を得ているとする。そこでは新たなヴューワーシップが生まれ、同時に作成者(authorship)へも影響し、画像産業全般においてアーティストが用いているのは、今や制作のためのメディムというより社会的装置だという。

                               (見城 中)

素敵なメディア研究所

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